フラと健康/歴史

よく「フラダンス」と呼びますが、ハワイ語で「Hula」は踊るという意味があるため、正しくは「フラ」と呼びます。

フラの誕生は、ハワイの歴史が大きく影響しています。フラの歴史は長く、紀元前500年頃、ハワイへ辿り着いた人々が八百万(やおよろず)の神を崇め、フラを踊り始めたとされています。その後、文字を持たないハワイの人々は神への祈りだけではなく歴史上の出来事、ハワイ各島を舞台にした伝説、ハワイの海や花などの自然の素晴らしさ、人を愛する心までフラで表現し踊り継いできました。ハワイの人にとって、フラは記憶の承継でもあります。そのため、歌を深く理解し心で感じ踊ることこそが、フラの真髄であるといえます。

歴史上、初めて書き記されたフラは、イギリスのジェームス・クック船長が、カウアイ島に上陸した1778年のことです。これより、それまで欧米に知られていなかったハワイの存在が世界史に初めて刻まれました。1795年にカメハメハ大王がなくなりと、アメリカ本土から来たキリスト教の宣教師らの発言力が強くなり、フラを「腰を振る淫らな踊り」として廃絶し、公の場で踊りことを禁じました。ただ、こうしたフラが弾圧された時代の中でも、王族たちは私的な宴を催し、フラを楽しんでいたといいます。

フラを復活させたのは、カラーカウア王というハワイ王朝7代目の王です。カラーカウア王は、このままではハワイ王国がアメリカの実業家に転覆させられるという危機感をもち、ハワイ人の権利を確固たるものにしようと策を尽くしました。政治的には大変難しい局面を迎える中、カラーカウア王は「フラは心の言葉であり、ハワイの人々の心そのものである」と宣言し、公の場で再びフラが踊れるよう禁止令を取り下げたのです。そして、ハワイ社会に不可欠なものとしてフラを復活させました。

また、カラーカウア王は、才能あるクムフラ(フラの師範)たちが、それまでにない新しいフラを生み出すよう推奨し環境を整えました。それまでは、チャントと呼ばれる祈りを捧げる詠唱に合わせて踊っていましたが、これを期に、歌と音楽の伴奏で踊るようになり、さらに、1880年代にポルトガル人がギターを持ち込んだことでウクレレが生まれ、現在のフラとつながっていきました。

1893年に約100年続いたハワイ王国は、アメリカ勢力に弾圧され滅び、アメリカの領土となりました。国を失ったハワイ人はハワイ語を話すことや、フラを踊ることもなくなりましたが、アメリカ映画でフラが用いられたことをきっかけに、ショーとしてのフラが世界中で有名になっていきました。

 

 

 

資料/日本成人病予防協会